八甲田山 死の彷徨 新田次郎
昨日は半身浴を早く切り上げて、猪谷さんの靴下を片っぽ完成させてしまおう!のつもりが、お風呂で読み始めた「八甲田山 死の彷徨」新田次郎に引き込まれ、結局お風呂の中で全部読んでしまった。初回の流し読みだけど(私は結構何度も読み返すタイプ)。というわけで、靴下はつま先の減らし目まできてあと一歩のところで、作業待ち。しかし、現時点ですでに、足首、踵、土踏まずの立体的なフィット感に感心中です。
それにしても、恐ろしい八甲田山。まさに死の彷徨。
軍幹部には怒り心頭。自分たちは暖かい安全な場所でふんぞり返っていて、ずいぶん気軽に「(八甲田山行軍を)やってみたいとは思わないかね?」って。当時の軍部にあって、それは強制ではないよと言いながらも、イコール命令で。日露戦争開戦を前に、シベリアで戦える軍隊を作るには何が必要なのか、人体実験として2つの連隊が行軍実施。199名が命を落とした大隊編成の第五連隊と、完全踏破した少数精鋭第三十一連隊。
第五連隊の崩れる様子の描写は恐ろしいの一言。排泄したいと思っても、凍傷にかかった指が動かずズボンの釦を外すことが出来ない。もうどうにもならなくて、ズボンも下ろせずそのまま垂れ流して・・・たちまち下腹部から凍っていく者。発狂して、川を下って助けを求めに行こうと飛び込みそのまま凍ってしまう者。死者199名の内訳は、指揮した将校は少なく、ただ従ってきた兵卒が圧倒的に多数。将校は、多くは士族・華族の出身であり、兵卒は貧しい平民。(ついでに、死亡保障(って言うのかな)も将校と兵卒では格段の差。)
第五連隊の崩れ方には、準備段階から指揮系統が統一されておらず、必要な準備がされなかったことがまず大きかったと思う。雪山の恐ろしさに対する論理的な理解のない上層部が、競争心と精神論をもっていらぬ口を出すこと。平民出身、神田大尉の無駄な劣等感も悔しい。もちろん、一番のガンは、山田少佐だけども。時代もか。
考えるところの多い読書でした。途中でやめられなくて、とにかく一通り最後が知りたく、読み飛ばしたとこもあるので、またお風呂に持ち込まなくては。
しかし、この199名の死をもってしか厳寒の雪山での行軍の厳しさに気づけず?装備の改良に動かなかった陸軍。199名の死はその後の日露戦争の装備不足における犠牲者を減らしたのだろうけれども。